#023 聖域なき構造改革

子供の頃、無邪気に思った。


「俺が首相をやれば、日本はもっと良くなる」


・・・さて、現在。


俺は会社で情報システム部門を担当しているのだが、今社内でワークフローシステムの導入を進めている。ワークフローとは、社内の申請書等の帳票を全て電子化及び業務フローのシステム化である。いやいや、これがなかなか難航している。社内の立場によって、思惑がそれぞれ違うのだ。例えば、業務担当者からすると、今まで紙中心で行っていた業務を全て電子化する、当然拒否反応があるわけだ。なるべく今まで通りの業務の形を崩したくないと考えている。ワークフロー導入のメリットの一つは、導入による業務の見直しということがあるので、今まで通りの形ではまずいのだ。とはいえ、彼らを保守的だと非難することはできない。今までの業務がまるっきり変わってしまうのだから、慎重になって当然だ。一方、経営者は経営者で違った思惑がある。経営者はマクロな視点でモノを考えなければならない責任がある。マクロな視点になればなるほど、ミクロの状況は見えにくくなる。だからこそ、「現場を知らない」と現場サイドから批判が出る。俺は俺で、情報システム部門として、ベストな形での導入を目指している。が、職位、職分から、それを押し付けることはできない。俺ができるのは、せいぜい皆の潤滑油になることくらいだろう。人を動かすことは難しい、身に染みて最近思う。


小泉純一郎元総理が政界を引退するという。


小泉さんは、総理時代、その圧倒的な国民の支持を背景に、「聖域なき構造改革」と銘打った改革を断行した。彼に考えに反対する守旧派は、「抵抗勢力」と呼ばれた。そこには「改革=善」、「守旧=悪」の二元的な構図があった。さて、今ではその改革はどのように評価されているのか。在任中の圧倒的な世論の支持は、退任後2年が経った今では、小泉改革によって格差社会が広がったという批判に変わった。俺の友達に公務員がいるのだが、彼のところは10月から民営化する。この前会った時、小泉さんへの呪詛の言葉を述べていた。



俺には小泉改革を評価するなんて、大それたことはできない。小泉改革によってもたらされた恩恵もあるはずだ。思慮が無くパフォーマンスだけなんて言われているが、あれほどの改革を実行するのは、いくら世論の支持があっても、なかなかできるもんじゃない。和を尊ぶのを重んじる日本社会において、誰だって、敵を作りたくないという保守的な思いが先んじる。そうならなかったのは、私利私欲なんかじゃない、情熱や使命感がそこにはあったはずだ。


小泉純一郎、歴史に残る政治家だと思う。